2011年10月2日日曜日

ラブレターは突然に。。。。 秘蔵版43:三国峠旧道

  本日もMTBネタ。

土曜日のこと、パシフィコ横浜で開催されたモンベルフレンドフェアにSurlyちゃんとお出かけ。ハイキングシューズ・ダウンベスト・その他雑品を購入して夕刻に帰宅。おもむろにPCを立ち上げ、Twitterにその旨を書き込むと、マッハで反応が・・・・。GPS大王氏でした。衝動買いしたなら、明日MTB行きますか?と・・・・・ラブレターが舞い込んだのであった。もちろん、マッハで返答、「行きます。」。ほぼ同時にhiro氏も反応。やはり早い!21時過ぎにinstinct氏、Ao氏が反応したものの、時すでに遅し。こう云った類は、「善は急げ」である。

といった経緯で、かつては越後・上州を結ぶ重要街道であった三国街道の難所である三国峠を超えるMTBツーリングへと旅立ったのであった。

Wikipediaによると「三国街道」は、以下のように解説されている。
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三国街道(みくにかいどう)は、中山道の高崎から分かれ、北陸街道の寺泊へ至る街道である。
  三国峠は関東と越後を結ぶ交通路としてきわめて古くから利用されており、上杉謙信の関東遠征の際に重用された。 主要街道としての三国街道は、近世(江戸時代)に参勤交代に利用されるようになってから重要視されるようになった。長岡藩、与板藩、村松藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟港巡検の関八州取締出役などがこの街道を利用した。また、当時の宿場には、渋川や湯沢をはじめ「三国峠越えの三宿」と称せられた三俣、二居、浅貝などがあった。
  しかし、1902年(明治42年)に鉄道(信越本線)が開通してからは、交通面は鉄道に依存し宿場町は衰微していくことになる。長岡から湯沢にかけては道も平坦で農耕地もあったため、ある程度の地方的交通需要があったようだが、三国峠を越える部分の交通量は極めて少ないものであった。
1953年(昭和28年)、自動車の普及とともに長距離の貨物輸送の需要が増大、関東~越後間の自動車交通が信越線沿いに迂回する不便を解消するため、当時県道であった三国街道の国道昇格運動が起こり昇格とともに大規模な改修工事が開始された。
  現在三国街道の大部分が国道17号となっており、関越自動車道・上越線・上越新幹線と共に関東~新潟間の大動脈となっている。
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道端にある街道の解説板によると昭和34年の国道17号線開通までは、旧道は実際に街道として機能していたようである。実際、三国峠越えを走ってみると、未だに石畳が残存しており、昔の面影を僅かではあるが感じることができた。

本日の行程は、次のようなものであった。
0630 錦糸町にて快速ゴルフワゴン号に乗るGPS大王氏にピックアップしてもらう。
0710 新宿にてhiro氏をピックアップ
0940 猿ケ京の温泉宿に駐車。MTBの段取り。1020出発。
1200 三国トンネル通過
1250 三国峠到着 昼食 1340発
1510 猿ケ京に帰還。入浴

MTBによる実走時間は、何と!秘蔵版とほぼ同タイムである。我々、特にぴーすけとhiro氏のスキルアップの成果ではないだろうか!?

今日の模様は、GPS大王氏が大量に動画をアップしてくれた。こうなれば、写真は不要だ。
http://www.youtube.com/profile?nomobile=1&user=GPSDaiou


本日走行:29km
獲得標高:870m



来週は、大王会員の公務であるセンチュリーラン大会「グランフォンド京都」に参加。完走できるかな〜ぁ?